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2008年10月13日

『ときが戻せるなら』

『ときが戻せるなら』
 はよく言う。
現実の世界でも、ドラマでも小説のなかでも、それはきっと最初の人間が生まれ落ちた時からずっと変わらぬ、歴史上でも普遍的な「ひと」の願い。

「あのときに戻れるなら」

 それはきっと、たいていの場合「後悔」なんて言葉では言い尽くせない、たくさんの想いがそのなかには詰め込まれていて、決して叶う事がないのだとわかっていてもなお、口に出して、或いは文字という記号に残さずにはいられない嘆き。
 時というものを認識できるようになってしまった悲しい生き物。過ぎ去ってしまったことをいつまでも反芻できるほど、持て余してしまう。進化なんてしなくてよかったのに。

 あたしが戻れればいいと思うとき。
本当にやり直せないこと、取り戻せないもの、
そして、もうどうしようもない状態。

「あたしはね、あなたに出逢ってあげなければよかったって思う」

 このつまらない人生のなか、無意味に生きているような気がずっとしていた。そんなあたしをきっと、一生のうちで一番必要としてくれていたのはあなただったと今でも確信をもって言える。
 それが、いいのか悪いのかは別として。

 でもあたしは、できることならあなたの記憶の中から「あたし」を消してしまいたい。
ひどいことをされたのはきっと、あたしの方で、いつも泣かされて、尽くして、それでもあたしが思う「愛」はあなたからは返ってこなかった。

 見返りを求めて付き合うのは間違っていると思う、ましてや「同じ気持ち」なんてものは絶対に存在しないだろう。
でも、あたしがあなたに求めたもの、そしてあなたがあたしに求めていたもの。

 それはお互いに決して揺るぎないもので、そしてその二つは決して交わることのないものだった。
どんなに永いときを共に過ごしても、その違いばかりがクローズアップされていくだけで、ただただいつまで続くかわからぬ孤独との戦いでしたなかった。

 一緒にいても寂しい、辛い、悲しい。
それはきっと、あたしだけじゃなかった。

 決して叶うことはない、願い。

 今なら二人、もっと上手に相手を愛せるだろうか?もっと幸せを感じられるだろうか?
そんな楽観もできない。あれからあたしはひどく臆病で、またひとつ厚い壁をつくって、自分を守ろうとしている。

 きっと、今どこかであなたに出逢ったとしても、あたしは眉ひとつ動かさずに、あんなにいつも触れていた肌を、その腕を首筋を髪を、そのとなりを通り過ぎてしまえるくらい。
もう「どれ」が自分の本当の感情かもわからない、今のあたしはきっとあなたの目に最低に映ることだろう。

 そうして、嫌いになってくれたらいいとも思う。そして、もう一度あの頃のあなたに戻って、無邪気に、また別の誰かと笑い合ったり抱き合ったり、できるようになってくれたらいいのに、心からそう思う。

「出逢ってしまって、ごめん」

 一生のうちで出逢う、すべての出逢いにはきっとそれぞれの意味や価値や理由がある、それはわかっている。宗教でも、もっと別の論理でもなく、このわずかな人生のなかで学んだ自分の経験や勘のようなものでそれはわかっている。

 誰か一人でも、何か一つでも欠けていたら「今」というものが存在しえないものだと。

 それでも願わずにはいられない。
叶わないとわかっていて、否、本当は叶わないことに安心して、皆くちぐちに言うのかもしれない。本当は叶ってほしくなんてないのかもしれない。

「なんでこんな複雑になっちゃったかな」

 あたしは自嘲気味につぶやくだけ。
自分という人間を、「ひと」という存在を、恨むわけではないけれど、悲しく思う。

 あなたといて好きになれたもの、嫌いになったもの、この腕の傷が間違いなくここにあること、まだ少しだけあなたのにおいがする服、あなたの筆跡でかかれた言葉、一緒に行ったあの公園であなたがくれた花で作った押し花、一緒に聴いた曲のメロディライン、そして、一緒に眠り一緒に目覚めたベッドからみた変わらない景色、そんなもののすべてが嘘じゃなく目の前に存在していて「あれは本当にあったことだよ、忘れてはいけないよ」そんな風に四六時中あたしに訴えかける。

 痛みなら、一生耐えられる。耐えてみせる。
あたし一人が痛いならなんてことない。この傷も一生消えなければいい。

 そんなことで、そんな代価で済むなら、簡単なこと。

「あのころに戻れるなら、きっとあたしはあなたを選ばない。出逢ってあげない。それは勘違いだよ、君があたしを好きだという思い、それはきっと恋愛じゃない。君は今とても弱っていて、手を差し伸べてくれる人ならだれだっていいんだ、ほら、よく考えてごらん」

 嘘のような都合のいい言葉を並べたて、あたしは君を納得させてみせる、懐柔してみせる。説き伏せ、ねじふせ、それは勘違いだと、信じ込ませてみせる。

 たとえそれが「罪だ」という人がいたとしても、あたしはそうするだろう。

 たとえそれが「間違っている」という人がいても、あたしはそうするだろう。

 だから、どうか、ときが戻せるなら。

 神さまじゃなくていい、神さまのような、万能の存在がまだあたしがみたことない、どこかにいるのなら。

 あたしを、あのとき、あの時間へと。













森儀



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Posted by Sanctuary Products at 21:00│Comments(0)短編。
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